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マンガ作家、コジママユコのweblogです。

うちゅうコレクション!!!

THE LIBRARY in KYOTO、あす3/17からです。

展示作品「宇宙コレクション」はfashionをテーマにしています。

テーマはおおきいですが、ゆるマンガです。

 

小学生のころ、着物が好きだった。

シルエットもかっこういいし、袖やすそがひらひらしているのも面白いし、花や毬をつかった細かい柄もすきだった。洋服より着物がすきだった。それでもわたしは洋服を着ていた。服装を選ぶのは個性だという。自分の意思で選んだ服装が自己責任による個性なのだと。流行にしたがう人間は個性が無くてだめだと言われていた。そのころはコギャルがはじまっていて、アムラーがはじまっていて、あんなみんな同じ格好するなんてだめね、とわたしの知っている親の世代の人みんなが言っていた。日本人は流されるからだめだ、とも。そうして考えるとわたしは間違いなく流されていた。洋服を着る理由が「流されているから」以外に思いつかなかった。ああ、わたしはまったく個性が無い人間だな、と思った。わたしは個性をあきらめた。

 

ずうっとずうっとそうやって思春期は「流行にながされているなあ」と思いながら流行を眺めてすごしていた。あるときふと、クラスのみんなの格好が「みんな変な格好をしているな」から、「あれ、かわいいな」にスイッチする瞬間が起きることに気づいた。なんであんなにセーラー服のタイを細くするんだよ…→あれなんかリボンみたいでかわいいな、カーディガンなんであんなにだるだるなんだよ…→あれくらいのゆるさがかわいいな、というふうに。そういうスイッチは何回も何回も起こり、そうしてそれを「流行に流されている意思の弱さ」だ、とは思わなかった。認識がスイッチすることは自然なことなのだろうと思った。そもそも、わたしたちにそういう種類の「意思」は存在しないのに違いない。

 

あまりにも余分な布のあるスカート、体重をささえる構造としては論理性の無さ過ぎるヒール、飾りとしての機能を持たせるために飾りでしかない名ばかりの収納機能を持たせたパーティバッグ、などをわたしはあいする。実際はいままでの人生の99%をリラックスウェアで過ごしているが、それでもおしゃれをする楽しさをわたしはあいしていると言う。だって可笑しい。こんな可笑しいことを普通にしているなんて、いったいどうしたことだろう?

 

だから、こたつを着たり、うこっけいを着るファッションコミックを描きました。読んで下さった方がいたら、楽しんで頂けていましたら幸いです。