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図画工作をするじむいんのweblogです。

Okay

作曲をしてみたいな。作曲作曲。

身体が楽器であること、知っていますか。気管は空洞でしょう、声帯はリードでしょう。おおきな声を出すとき体がふるえて音を増幅し、体のすべての細部が機能することがわかる。身体は楽器としてつくられている。声の出し方がなっていないから、すぐのどが潰れてダメになるのだけど。

 以前、テレビで黒沢かずこさんが(大好き)、「うたは好きだけど、自分で作曲した歌しかうたえない」と言っていて、おお、同じようなことを考えていた、と思って嬉しくなりました。自分で作曲したらなにが正解かは自分しかわからないはず。音痴は自分で作った歌ならただしく歌えるはず。そう、わたしは音痴なのです。

 音階によせて歌う機能がうしなわれているんです。みなさん、どうして音階にそって歌うことが出来るか説明出来ないでしょう。わたしも、どうして音階にそって歌うことが出来ないのか説明できない。

 

でも、作曲をしようとしたら、なにから手を出していいか分からないので驚いた。毎日耳を使っていて、音を聞いたことのない日がなくて、作曲なんて音の羅列なのだからいくらでもいくらでも作れるはずなのに。一音二音歌ってすぐ聞いたことのある曲になってしまう。いつも聞いている音が、全く道具として使えない。

 

これは例えば絵を書くことでも一緒だ。

 

わたしは毎日目が見えているので、色も形もいくらでも覚えて使えるはずでしょう。それでも、絵を描くことは厳しく決まったパターンに則ってしか出来ない。白い紙を持ってきます(鉄の板じゃいけません)。黒い鉛筆を持ってきます(すごく緻密な道具ですね、鳥の羽じゃいけません)。輪郭をとります。線を重ねて、精査して、ペン入れ。ものすごく整理された道具とパターンを使って、はじめて自由に絵を描くことが出来る。

 

…でも、もしかしたらもっとほんとうの意味で自由に描くことは出来るんじゃない?

 

わたしの手元にあるいちばん古い絵は2歳の時のペン描きだ。最初に白い紙があって、ペンが渡されて、紙にペンで書く以外の表現に気づかない!それだけでもうOkay,って感じだ。(もちろん、子どもの可能性を潰してるとかそんな話ではない) 

 

絵の具で鉛筆で絵を描くことが絶対じゃないこと、相対的なものであること、に、30歳目前になるまで気づけなかったことにけっこうびっくりしている。Okay?どうしてわたしたちみんなキャンバス貼って筆で絵の具を載せていくことから始めるんだろうねえ。だいたい筆って何。なにあのふさふさ。そうして、こういう感じのゲシュタルト崩壊はいつもたのしい。当たり前だったことは、偶然当たり前になっただけなのかもしれない。

 

 

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