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マンガ作家、コジママユコのweblogです。

公平な試験(「面接あるある」によせて)

『面接あるある』という作品をコルクbooksに描きました。

その作品をシャープさん(@sharp_jp)がコラムに書いてくれ、それが素晴らしかったので、ぜひ、読んで‥。

就活がつらい&つらかった人は是非是非読んでほしい。

(作品もこちらから読めます↓ 企画内で入賞にも選んで頂けました)

corkbooks.com

 

今回のマンガはコルクbooksの「#面接あるある」というお題で描いたものです。私がお題にそってマンガを描くときは、そのお題にまつわる経験の中から描きたい「感情の動き」を持ってきて、それを再体験できるように、エピソードを配置して描いている。私の今までの人生の中でいちばん大きな挫折として「面接」があったので、「#面接あるある」というお題を出されたらこういうふうに描くしかなかった。長い就職活動のなかで面接に受かったことはほとんどなくて、それでも続けた理由は「新卒でこの先のキャリアが決まる」という強迫や、「一度非正規になると正規になれない」という強迫や、「新卒無業では経済的に死ぬ」という強迫や、さまざまな暗い強迫があったけれど、一番は

 

「落ちるには落ちるなりの理由がある」

 

という思い込みによる強迫だったかもしれない。その思い込みはもちろん私個人だけのものではなく、周りの人ほとんど全てが持っていた思い込みだったと思う。落ちたのは落ちた人間が「悪い」から。型にはめられて点数をつけられるのがどれだけ辛くても、試験に合わせてPRできない方が悪いとみなされる。「あなたが悪い」という視線しかない中で流れに逆らっていくことは、できなかった。

 

「試験」というものがあると、それはとても公平なものだ、と人は思うらしい。筆記試験で満点をとると、あたまがいい、と言われる。筆記試験の内容が丸っきり入れ替わっても満点をとると、あたまがいい、と言われる‥。試験はどうやら、知識や条件を満たしているかといった人の中身を確認するものであると同時に、その形式によって、「人を峻別する」というもう一つの機能があるらしい。受かった人にぺたりと権威のラベルを貼って、落ちた人より格上に置く。スティグマを発生させてしまう装置。

当時はよく就職課カウンセラーの元に通った。目の前に落ちた人間がぽつんと一人いるとき、カウンセラーは落ちた人間の中から理由を探す。試験は公平で、落ちた場合は受験者の側に問題があるという前提は疑われることはなかった。そうしてそのスティグマを払拭するためには、ただ一つ「試験に受かる」しかありえないのだった。実際、払拭できなかった私は、何年たっても言われた。「君の場合は、本人に問題があったからだよねー」と。

 

どうしても、思い込んでしまうのだろうな。公平な試験で選ばれた結果が正しかったら、考えなくていいから楽だ。私だって今回は当事者だったけど、自分が直接関係のないことには、正直自信がない。

ただ、「試験は人工物なので絶対の指標になりえない」「人に対して何が悪いとか一方的に裁判できる人はいない」ということをちょっとでも思い出せたら。「試験」の外の一回り大きい構造が見えてくると思う。どんな視点で選ぼうとしていて、どんな視点を、取りこぼしているのか。

 

ほんとうはずっと復讐をしたかった。でも、敵に実体がないから。就職課の職員とか面接官とか就活ビジネスとか、そんな仮想敵なんかどれだけやっつけても意味ないだろう。構造から壊さないと。構造が言わせている思い込みを外して一つ一つの嘘を無力化していかないと。それ以外に方法はない。そうやって抑圧を一つ一つ外していくのは、物語の仕事であるような気がしている。