paper sky

マンガ作家、コジママユコのweblogです。

意味と形をいったりきたりしながら

意味と形を行ったり来たりしながら、漫画を描くことについて。

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言葉に形があることを知る前から言葉をつかっていて、「あ」という音がなぜ「あ」という形なんだろう?ということを不思議に思ったのは5歳くらいのときだった。そして例えば「あれ」「あなた」「あした」にそれぞれおなじ「あ」という形が含まれているのに、意味が違うことも不思議だと思った。意味と音と形の結びつきは全然関係ないように思える。昔から表現がうまくいかない時、そういうことをいちいち不思議だなあと思ってしまう癖がある。意味は音や形に置き換えることができるけど、意味と音・形はどこまでも別ものなのだ。

 

音の一つ、単語の一つでこうなのだから、物語を書くとなるとたまらない。音は韻律を連れてきて次の単語をすいすい引っ張ってくるけど、それが書きたい意味を連れてきてくれるとは限らない。韻律に引っ張られるとどんどん意味がずれていってしまう。だから時々意味を(書きたいことを)思い出して、いままでの文を読み返して、少しづつ意味と音と形を確かめながら書き進めていかないといけない。大事じゃない意味をけずったり、綺麗すぎる音や形をくずしたりして。

 

わたしはここ数年漫画を描いていて、テキストは上に書いたようなことが辛すぎて苦手なのだけど、漫画ならもうちょっと楽だなあという気がしていた。漫画の方が使う記号がハイコンテクストなので。人物の記号、コマ割り、吹き出し、場面転換、大きい意味の記号の組み合わせでちょっとしたものなら(そう、ちょっとしたものなら!)描ける。その分、テキストよりも書いたり削ったりの時間を取らないですんでいた。

 

ただもうちょっと精度の高いものを描こうと思うとそうはいかない。

最近はコルクbooksに参加していて、ここはネームを上げるとマンガ仲間の方・編集の方がレビューやアドバイスをくれる。それに応えて作家は次々推敲したものを上げていくことができる。

わたしは今日初めてネームの推敲を出した。推敲をするときは「もともと何が描きたいことだったのか」を思い出して、必要じゃないコマ・台詞を削ったり、よりテーマが伝わりやすいようにモチーフを入れ替えたりして、描いている。でももともと自分のふわっとした観念をかろうじてストーリーの形にしたのがネームなので、こっち方向に話を振ったけど、もっと違う方向で描いた方が本来のテーマに近いのでは‥。と思いながら、推敲ネームを上げた。

でもほんとうはプロの漫画家だって4回〜5回はネームを推敲するんだって。新人は圧倒的に推敲の量が足りないんだって。そういう話も聞いた。いい情報だ‥。

いままで、文章でもデザインでもなんでも、推敲する前のほうがまだ良かった、という状態に陥ることがあった。それは、何を目指して付けたり削ったりすればいいか訳わかんなくなっちゃいやすい っていうことだと思うのだけど、そこを克服できたらいいなあ、と思う。あと、手持ちの、道具として使える形を増やすこと。

やっぱり意味と形を行ったり来たりして、なんども確かめて作り直していくことでしかないんだなあ。創作は。

 

 

 

 

コルクbooks

コルクbooks というマンガ投稿サイトに参加させてもらっています。

マンガを1件アップしています。

corkbooks.com

マンガ家がお題に沿った作品をアップしつつ、反応をもらって、ブラッシュアップしたものをラリーのようにつなげていく‥というサイトです。よかったらご覧くださいね。

インターネット、ちまちま複数のところに描いていて(このブログ、note、上記のコルクbooks)もう使い分けがわからなくなってきました

いちおう本人としては、ここは絵でも文章でもなんでものせるところ、noteはポートフォリオ、と思っているのですが、コルクbooksはどうなるかなあ。