paper sky

マンガ作家、コジママユコのweblogです。

想像力は伸びたり縮んだりする

ニュースを見ていたら、女の子が殺されていた、と言っていた。

 

女の子は昔の後輩に呼び出されて会ったけれど刺されてしまって、

救急車で病院に運ばれてから亡くなったそうだ。

その話をテレビからぼうっと聞いていて、ああ、暗い夜の中刺された時はどんなに恐ろしかったろう、じいっと救急車を待って、だんだんと死んでいく途中、どれほど痛くて辛かっただろう、と思ってとても悲しくなった。そして、

 

ああ、今日は想像力があるほうの日だ と思った。

 

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想像力は伸びたり縮んだりする。想像力がある日と無い日がある。「あの人は想像力に富んでいて思いやりがある」なんて言ったりはするけれど、想像力がある人と無い人がいるわけではないと思う。だって、想像力と思いやりに溢れるある先生が、道行く少女の恐怖感をまったく想像することなしに痴漢でつかまったり、するでしょう。きっと想像力は日替わりだ。もしかしたら分刻みだ。

 

想像力が無い日のわたしの残虐非道さはおぞましい。それはたとえば、公共のトイレでトイレットペーパーを使ったのに、次の人のことを想像すること無しに補充せずに出たり、大好きな友人の家に置いてあるぬいぐるみを、友人が悲しむことも想像せずに苛立に任せてつくつく突っついて倒したり、している程である(以上は比較的マイルドな事例をえらんでいます)。脳でしっかり考えたりせずに、脊髄で反射して行動に移してしまうようなことは実は良くあるけど、それにしても怒りや苦しさにまみれているときは脳があると思えない程のひどい脊髄反射をする。こんなに怒っていて悪いことをする最低な人間であるわたしを見ろ、とその時は思っている。でも、脳のはたらきはどうしても戻る。あんなに酷いことをしたのだからわたしは全くのくずだと思って、丸っきり諦めてしまいたくなるけど、それも出来ない。