paper sky

マンガ作家、コジママユコのweblogです。

私たちの庭、あるいは解毒する物語

 ありがたいことに、マンガの制作について相談に乗ってもらえる機会を頂けて、「どんなものを描いていきたいですか?」というお話を聞いてもらった。

私は元々、どこにも出しようのない考え事の置き場としてマンガを作っていたのだけど(役に立ちにくいものとか、観念的すぎるものとか)、これから先も続けていくにあたり、誰に届けたいとか、何に役立って欲しいとか、そういう他者に向けたイメージを、少し戦略的に作っていったほうがいいねというお話をしました。

その時は、人のいわゆる「生きにくさ」のようなもの、なんとなく社会にうまくフィットしないと感じている人のために‥ということを話したのだけど、上手いこと言語化できなかったので、改めてここにまとめてみようと思います。じつは一度前にもステイトメントをblogに書こうとしたことがあって、でもその時同時に描いていたネームがぜんぜんダメだったのでやめたのだけど‥その時はほらやっぱ能書きだけ立派でもダメなんだと思って‥。でも、頭の整理のために一度書き切ることにしました。言語化したら乗り越えていけるので。

 

--- 

生きているとたくさんの言葉を言われる。「そろそろいい歳だし結婚は?」とか、「いいものを身につけないと出世しないぞ」とか。それがなんの根拠があるのか本当は分からないけど、人は言われた言葉から意味や論理を読み取ってしまう。どうやら大勢の人が信じている物語があるらしい。そこでは人間は生きた年数に従って課題をクリアして、成功を目指す道筋を生きるらしい。ほんとは課題になんの意味があるか分からないけど、みんなが信じているから。

そうして時に、その物語が「わたし」を傷つけることがある。「数ヶ月で退職するようじゃ一生何やってもダメ」「結婚できないとか人として問題があるんじゃない?」‥。物語の構造に従って人は簡単に人を「負け組」とみなすことができる。人は分析力を持っているので、息を吸うように他人を裁判できてしまうらしい。

でも、ちょっと待って。本当にそうなんだっけ?もともと何が根拠なんだっけ‥?目につく周りの全員に価値がない奴を見る目で見られても、自分を全部完璧に諦めきってしまう前にいつも少し、戸惑いがのこる。

そんな時に「わたし」は物語のページをひらく。

そこにはのび太みたいな怠け者の「わたし」がいて、夜神月みたいな不遜な「わたし」がいて、「こうすべき」「こうしなさい」という大きな物語から取りこぼされた変な物語がある。そこには、理解されなかったわたしの感情の輪郭がくっきりと描かれて置かれてある。そこでちゃんと感情の形を確かめた後には、どうして負け組といわれた「わたし」が本当は負け組でなかったかが、わかるようになる。小さな変な物語が「わたし」を語りたがる大きな嘘の物語からの逃げ場になる。安全な私たちの庭。

私は人を応援するために二つの方向性があると思っていて、一つは、既存の構造に従って負け組を勝ち組にしていくこと。もう一つは、既存の構造を疑って勝ち負けを拒絶していくこと。今は後者の方向に人をエンカレッジしていくことに関心がある。マンガを通して少しそれができるような気がしている。気がしているだけだけれど‥。そしてあんまり頭でっかちになったらつまらないとも思うけど。

いちばん役に立つ、一見一番役に立たないものを作ってみたいと思う。既存の構造に則った生産性から遠く離れて。

---

 

(しかし書いた言葉にしばられるのはいけないから、これに拘らずにどんどんアイディアは出していきたい)