スロウリィ・サーティ
もう、時間差でくる。
おいしいものたちだいしゅうごうだわいわい
imo + kuri + nankin
9月に入って各コンビニが「イモ・栗・南京スイーツ」を繰り出し始めました。
とっても好きなのですけど、あれらはなんで季節限定なんだろう。年中あってもいいのに‥。
この時期を悔いなく過ごすため、毎日なんかしらの甘いお菓子を食べてしまいます。
教室から出られなくするもの
今年の8月31日は「学校に行きたくなかったら、無理に行かなくてもいいよ」というキャンペーンを所々で見かける。なんでも、悲しいことだけれど、2学期が始まる9月1日が1年で一番子どもの自殺が多い日らしい。
「無理に行かなくてもいいよ」というのは、良い語りかけだと思う。でも、良いニュースが大きな声で語られているので、ちょっと戸惑ってしまう。
(「良いニュースは小さな声で語られる」は村上春樹ですね。「ハルキスト」って言葉が出る前から、村上春樹の小説は好き。)
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いじめのニュースの感想として、たまに厳しめの自己責任論を見かける。「部活でいじめられようとも、本人がその部活を選んだのだから自己責任」とか、「職場いじめで心身の調子を崩しても、それは通い続けた本人の自己責任」とかいうような意見。
そういう、「本人がやりたくてやったからいいだろう」という意見は、なんだか乱暴な気がしている。
わたしはいじめられていた訳ではないけど、100パーセント学校が好きだった訳でもない。ほんとうに「学校に行きたくて行っている」のか、「学校に行きたくないが行かされている」のか、それとも「学校には行きたくないけど社会から外れそうで怖くて仕方なく行っている」のか。ほんとうの気持ちはいつもなかなか複雑だった。
でも「学校に行くほうを選んだのだから、それはやりたくてやってるってことだから、学校に行きたくないって言うのは甘え」って言われてたりしたら、ひゅっと気持ちがちぢこまってしまう。
こういう風な、他人から押し付けて言われる「自己責任」に、いつも違和感を覚える。なぜなら、全体主義のコミュニティで言われる「自己責任」とは、実は自己責任でも何でもなく、同調圧力のことだから。
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